ぐっとくる言葉との出逢い【読書の“旨味”を感じる瞬間】

中村あやです。

落ち着いた珈琲屋さんで読書。

これ、私の大好きな時間の一つ。

 

 

この珈琲屋さん、なんと1976年スタート。

渋いでしょう?

昼からこんなバーのような雰囲気。笑

周りは暗いんだけど、手元は明かりで照らされて…

この感じが読書にいい感じに集中出来る!

 

さて、今日出逢った言葉に、ぐっときた。

泣けないことは、愛に素直になれないことである。

『「自分には価値がない」の心理学』より p.245

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以前、感情を抑えていたときは、自分が爆発して初めて、抑えていたことに気がついたものだった。

もともと、エンパス・HSPの資質を持つ(けれど受け入れられていなかった・うまく扱えていななかった)過去の私は、自分の感じやすさを持て余していたものだった。

 

そのときに、この言葉を聴いたら、どう感じただろうか?

感情を我慢していることにすら気づかないときに聴いたら、どう感じただろうか?

“愛に素直になれていない”と自分をジャッジして、また落ち込んだり、悲しんだりしたかもしれない。

 

でもね、過去はそうやってなんとか自分を守ってきたこと。

そうやって生き抜いてきた自分のことも、大切に想ってあげる。

 

その上で、今もそうやって自分を守ることは、本当に自分を守ることになっているんだろうか?

むしろ傷を広げていることになっているかもしれない、と少しでも感じたのなら。

 

実は自分がしていることは、自分にとってよくないことかもしれない、と気づくことは、人生の舵を、いい方向へ(しかも思い切り)、切り直す、いい機会であることがほとんど。

そのときに痛みを感じたとしても。

痛みを感じるからこそ、これじゃいけないんだ、とわかるのであって。

成長に、痛みはつきもの。

もちろん、無駄な痛めつけはそもそも不要だけど^^

 

 

少し泣けるようになってきたときに、この言葉を聴いたら、きっとこう感じた。

泣けることは、救いなんだ、と。

泣けるようになってきた自分を、肯定されたような気持ちになったことだろう。

 

そして、感情を取り戻し、そして(過去より)上手に扱えるようになった今は、この言葉には、本当に希望を感じる。

泣けること、悲しみを感じられることは、愛を素直に感じているからこそだ、と。

 

 

つらい渦中にいるときは、今感じていることが、一生続くような気がしてしまうものだ。

それに、すぐに変われないこと、完璧にできないことを、また責めてしまうことも、本当によくあること。

 

だけど、こうして感じ方、受け取り方は、変化していくものだ。

変わっていないように思えて、変わっていることはいっぱいある。

 

変えようと思わなくたって、変わっていることだってある。

私はずいぶんと白髪が生えた…(うーん)

 

つらいことが変わらない、と思うことこそが、一番つらいんじゃないかな。

だけど、変わっていくものだ、変えられるものだ、と知っていくことが、一番自分を救ってくれる気がする。

 

人間だって自然の一部。

変わらない、なんてことない。

変わっていくことこそ、自然なこと。

 

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