“監視する一つ目”を、観察する【内観のシェア】

やりたいことであればあるほど、
それをやろうとすると、
ストップをかけてしまうとき

なにが起きているのか?

LAS認定ヒーラー仲間との
交換セッションで、

イメージできて、
言葉になったのが、

“右上に浮かぶ、
監視する一つ目”

だった

 

なぜか、二つの目ではなく、
一つ目

 

気づいたのは
8月の半ばより少し前のこと

 

 

>> 右上に浮かぶ、監視する一つ目

の続きです

 

 

無機質で表情もなくて、
まさにこんな感じでした。。

 

 

そしてこの目は、
過去、父親との関係で
わたしが育てたイメージ
だということも
理解しました

 

 

 

ヒーラー修行の中で、
じぶんを見つめていくなかで
気づいたのだけど、

わたしはかなり、
父親の目を気にして
生きてきたようだった

 

父の機嫌を損ねないか、
父にとっていいようであるか

 

だからじぶんの感情も、
感覚も、欲求も、要求も
ぜんぶ後回しだった

 

母も、そのようにしていた
節があった

というより、
わたしにはそう見えていた
(だけのこと)

そしてわたしは、
無意識に母を真似たのでしょう

 

 

その過去の経験から、
わたしはじぶんのイメージのなかで、

父の目から、“監視する目”
作り上げたのだと思う

 

(パノプティコンのようだ
(知らないひとはググって))

 

 

 

でもそれにしても不思議なのは、
二つの目ではないこと

父との関係から
作り出したものならば、
ふたつであるのが自然なのだけど、
そうではない

 

浮かんでいるのは一つの目で、
生気がないというか、
無機質で、

そこには感情も表情も、
なにかの意図も汲み取れず、

ただ浮かんでいるだけ

 

わたしが勝手にその目を
気にしているだけ

 

目はひとつ、
ただそこにあるだけ

 

 

 

 

 

それが言葉になったとき、
驚いた

そして納得した

 

もちろん、
ネガティブなイメージでは
あるのだけど、

今まで、
動きたくても、
動けなくなる理由がはっきりして、
とてもすっきりした

 

 

今までは、
ジャッジメントの声が激しくって、
苦労してきたことはあったけれど、
“目”に気づいたことはなかった

 

たぶん、声がしなくなってきたから、
“目”に気づけたのだと思う

 

この目は、なにも言わないから。

 

ただ右上に、浮かんでいるだけ。

表情も変わらない。

瞬きもしない。

 

 

 

ざっくりいうと、
この目の果たしている役割は、

 

普通、常識、世間体、

社会で多くのひとが
なぞらえていること

また権威、立場のあるひとが
言っていること

 

その枠から出ないように
見ている(感じがする)ものだ

 

 

目はなにも言わないけれど、
その目があることで、
わたしは勝手に、

その枠から
はみ出そうなことをすると、
シュッと戻る

 

そういうことを
繰り返していた、
というわけだ

 

 

 

使命とか、
じぶんのエネルギーが
上がることというのは、

この枠から、
思い切り飛び出ることに
他ならないから、

それが見つかるほど、
ものすごい反動で、
“普通”と思われる枠に
おさまろうとする

 

 

わたしがいろいろ
じぶんを抑えたり、
隠したりしている、
根っこのところだ、これは

 

この“目”を見つけたとき、
そう理解した

 

 

目を閉じて、内なる目を開く

 

 

 

監視する目に気づいても、
まだ低空飛行気味

行動はにぶい・・・

 

 

このためにエネルギーを、
命を向けたい

やっと動いてきた、
深い部分

 

そのことによって、
じぶんに変容がかかっていることを
感じているけれど、

まだ動ききってない

 

 

 

これは進んでないんじゃないか、
そう思うと、
ふと見かける数字は

33

 

 

わたしの数秘は33だ

だからその数字を見かけたときは、
わたしの使命に関する、
メッセージだと受けとめている

 

他にも、
わたしが良い方向へ
向かっているサインとしている
数字のゾロ目をよく見かける

 

 

行動はうまく出せていないけれど、
いい方向へ向かっている、
そう確認しつつ、

わたしが今、
続けていることは、

この“目”を意識化すること

 

 

 

わたしの眼で、
それを観る

俯瞰する

 

 

本当は
監視する“目”を意識するのは、
ちょっと気持ちが悪い

 

 

けれど、
どんなときに
目が浮かんでいる感じがして、

どんなときに
わたしがその目を
気にするのか

それを観ると、
わかってくることがある

 

 

 

そうそう、
この“目”が浮かんでいることに
気づいて、

この“目”は、
わたし自身であるとも、
気がついた

 

 

なんとなく、
過去生や、
家系における因果から
できあがったものという
感覚もあるし、
そんな予感もします

 

なんであれ意識にあげられたら、
この目は葬れる

 

 

 

 

目に気づいたのが8/11で、
一つ前の記事と、
この記事を書いておいたのが、8/15

この時点では、
“監視する目”、
それにすこし怯えているわたしには、
まだ変化はありませんでした

 

しかしその後、
様子が変わってきます

 

 

 

また続きを書くのですが…

あなたにも不本意な現実の創造は、
ありませんか?

 

やりたいことほど、
逃げてしまう

その手前にある、
やりたいことが
そもそもわからない

 

愛されたいと思っているのに、
パートナーに、旦那さんに、
つっけんどんな態度をとってしまう

 

やりがいある職場で、
お互い尊重しあいながら
仕事に邁進できる環境が欲しいのに、
なぜか内部紛争に巻き込まれてしまう

 

などなど

 

それはあなたの中にある
(無意識とかエネルギーと
いっていいでしょう)

無自覚で、意識されていない、
過去の傷や
それによる抑圧された感情や
ある思考パターン

からきています

 

 

“こうしよう”という、
意識した意志の前に、

“こうなるだろう”という、
無意識のパターンがあって、

(傷、抑圧された感情、思考パターン)

後者の思い通りなのです、
人生は。

 

だから、必要なのは、
目標を定めることや、
行動力をアップすることや、
習慣化することや、
意志の力を鍛えることではなく、

(それらもときには必要ですが)

もし、不本意な現実が
場所を変え、時を変え、
ループしているのだとしたら、

取り組むべきは、まずは
ループを作り出している仕組みに
気づくことです。

 

 

今回のわたしの場合でいうなら、

やりたいことであればあるほど、
ブレーキを踏んでしまう

それは、過去(生含む)の影響から、
常識や普通の範囲から
飛び出ないようにする
“監視する目”が
右上に浮かんでいる感じがして、

それに萎縮して、
自動的に行動を
引っ込めてしまっていた、

というものです。

 

 

じぶんを変えるためには、
丁寧にじぶんを観察していくことが
不可欠。

 

これ、とてもおもしろいんですよ。

 

“こうしたい!”と思っている
じぶんの意志に反した、

矛盾した行動を、
ひとは意外にたくさん、
起こしています

 

そのカラクリに気づいて、
じぶんの内側(エネルギー)を
変えられると、

現実(外側)が、
早くて不思議な、変わり方をします。

 

これがきちんと、
創造力を発揮できている状態

 

じぶんを丁寧に観察し、
気づきを得ていくことは、
想像力を発揮できる土台を、
整えることに他ならないのです^^

 

 

 

こんな風に
じぶんを観察し、
プロセスを進めていく

 

そのシェアで書いています

また続きますね!

 

 

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