私がカフェでセッションしない理由
中村あやです。
先日、母と用事を済ませたあと、アフタヌーンティーカフェに寄りました。
私はここの、スイーツフルーツティーが大好き♡
アールグレイとフルーツジュースのブレンドティーにフルーツが浮かんでます。
ホットもあって、私はこちらがお気に入り^^
そのときに、隣のお席の方が、お一人パソコンを開いて、ご一緒している方に何かをお話されていたんですよね。
ご一緒にいる方は、ノートに熱心にメモを取られている様子でした。
私はなにかのセッションかな?と思いました。
パソコンの画面を見せているから、ホロスコープとか??^^
わかりませんが。笑
行ったことのある方ならわかると思いますが、アフタヌーンティーカフェであれ、たいていのカフェは隣と隣のテーブルが近いです。
その時も、そのお隣のテーブルと私たちのテーブルは、人が横になって通るくらいの間しかありませんでした。
そう、話って聴こえちゃうんですよね。
この時は、母との会話に意識を向けていたし、そういう内容ってあんまり聞かれたくないよなぁと思って、特に意識を向けることをしなかったので、何を話していたかはわかりませんでした。
私は始めたてからずっと、ホテルなどのラウンジでセッションをしています。
その中でも、テーブルとテーブルの間にスペースが十分にあり、隣に話が聴かれることのないようなラウンジを選んでいます。
狭いところを利用したこともありましたが、やっぱり嫌だったなぁと感じて、それ以来そこには結局行っていません。
私がセッションでカフェを利用しないのは、プライバシーへの配慮です。
深い話ができるよう、クライアントさん、相談にいらっしゃる方が、安心して話せる場を大切にしているから。
私もオープンにお伝えしていきたいですし^^
また、いらした方が、話が隣に聴こえているかも…と思ってちょっとした躊躇をしたことが、セッションの内容に大きな影響を与えることがある、と感じているからです。
出すことを遠慮してしまう、躊躇してしまうことで、“話されないもの”が生まれます。
そうすると、相談にいらした方は“聞き届けられていないものがある”という感覚を持ちますよね。
だけどそれは多分、言語化はされないので、認識はされないでしょう。
でもそのことから、なんだかセッションで受け止めてもらいきれてない、という状態を生んでしまうことになります。
それではいいセッションが提供できないということに。
セッションでは、言葉以上にたくさんのエネルギーをやりとりしています。
だから、そのやりとりができるだけ、オープンに、深いところから行われるような場を選んでいます。
また、セッションでは、普段のお悩みに対して、違う方向から眺められることも大事なんですよね。
だからちょっと日常から離れた、意識が高まりやすい空間に訪れてもらう、ということのためにもラウンジでセッションをしています^^
ここまでは、セッションやサービス提供側と、それを受け取る側の視点でのお話です。
もう一つ、カフェでそういうサービスを提供するということについて、私が漠然と感じていた違和感があります。
もちろん、私はカフェ・喫茶店大好きなので、一人で読書したり、お仕事したりするとき、旦那さんと話すときなどは、よく行きます♡
カフェにもいろいろな場所がありますが、こうして一人で過ごすための場所、人と人が話したりゆっくりするための場所というところが多いと思うんですよね。
つまり、同じように“飲み物を頂け、誰かと話せる場”という場所でも、なんとなく役割というものがあるというか。
セッションを提供する・受けるという場と、一人・複数でゆっくり過ごす場って、ちょっと相容れない感じがするんですね。
実際隣になると、違和感があります。
モードが違う、流れる空気が違う感じ、というのでしょうか。
これってちょっと抽象度の高い話なのですが、それらの場の役割や空気が一致しているところで、一致したことをする、ってすごく大切なことな気がするのです。
多分ね、そういう空気が一致していない感じって、絶対感じていると思うんですよね。
一致してないって、不調和です。
不調和って循環が止まってる状態。
調和は循環している、陰と陽が循環している状態。
自然なのは、調和している状態なんですよね。
自分のやっていることが、場を乱すことなのか、場を整えることなのか、意識していくとまた違うんじゃないかな、と思います。
私は場と調和していくような関わりをしていきたいなぁと思っています。