生命を脅かされる恐怖と共に生きてきて【グラウンディング】
わたしが表現するのが
怖かったのには
ほんとうにいろんな
理由があるのだけど、
ここに書いても
意味が伝わらないんじゃないかなぁ
と思うところもあって…
こちらの続きです
この地球上で 生き抜いてきた
たましいの仲間たちへ
インナーパワー
ヒーラー&コーチの
中村 アヤです
伝わらないかなぁと思いながらも
それでもすこし
書いてみるならば、
表現するのが
怖くなくなってきたのは、
ひとつは
アーリートラウマと呼ばれる
発達性トラウマのうち、
言語獲得期以前(プレバーバル)
のトラウマの解消
それと
親=権威との関係を
越えようとしてきたこと
かなと思う
前半についていうなら、
ここを癒していかなければ、
人前で歌うなどという
パフォーマンスなんて
とてもできなかった
吐きそうな思いをしながら、
解放してきた笑
人に見られる、
注目されると、
(生命が)脅かされる
というトラウマを
抱えていたようで、
それは記憶もない
発達初期のトラウマのうちの
言語獲得期以前(プレバーバル)の
ものだった
言葉を覚えていない時期=
記憶に残っていない時期
ということでもある
記憶にないなら
どのように反応するかというと
神経系が反射的に、だ
思考している感覚もない
その解消には
いろいろポイントがあるのだけど、
細かくなってしまうので
そこは省きます
また感覚的な要素も多いので、
言葉での説明には
限度があるのですよね
そのプレバーバルのトラウマを
クリアしていくたびに、
人前に出て表現することに
恐れが伴わなくなっていった
それでも
ここ最近の葛藤は、
後者にあって、
親(権威)の理解の範疇を
超えてはならない
という
枠のようなものが
あることに気づき、
仲間にコーチングをしてもらったり、
ヒーリングをしてもらったりして、
その枠を手放してきました
ヒーリングすること、
人前で歌うこと、
ブログを書くこと、
と並べてみるならば、
一番やりにくかったのは、
三つ目の書くことだと思う
書くことは、
仕事に繋がることだから
わたしはどこかで、
“親(権威)の理解の範疇の
仕事をしないといけない”
と思ってきたようだ
振り返ればやはり
2009年に身体を壊した
きっかけと
深く繋がっているからだろう
そういえば先日、
手がまかせるまま書いたことも、
その2009年のことだった
親(権威)の理解の範疇を
超えてもいいと許可すること
これはじぶんのオリジナルを
出すことでもある
そして超えようというエネルギーを
生み出してくれているのは、
少しずつわたしに生まれている
新しい思いだ
わたしはじぶんが
乗り越えてきたプロセスを
あまり言葉にできないできた
そのシェアが
役に立つかもしれないと
知りつつも、
怖いことの方が先に立ったし、
たぶんどこかで
じぶんだけが進めたらよい
なんて気持ちがあったように思う
どんどんよくなって、
どんどんじぶんの進みたい方へ
変わっていきたい、
進んでいきたい!
それはいいことかもしれない
だけど、
じぶんがいいだけでは
ダメなんだと
我が身が可愛い
怖いことは避ける
ということより
大事なこと
体験してきたことを
伝えること
最近、加藤さんにおすすめされた
漫画『NARUTO』を読んでいる
わたしがとても心を掴まれた
スターウォーズシリーズの
映画『ローグワン』
(観るたび毎回号泣する)
最近読んだ
漫画『鬼滅の刃』
にも通じるものがある
じぶんの命を
なんのために使うか?
その命題が
描かれていると感じる
わたしは先ほど書いたような
トラウマが影響していて
生命を脅かされる
と感じされることに
強く反応する
“恐怖心”が出てくるのね
人前で表現するのが怖い、
ということも、
命の危険を感じた経験が
じぶんの中にあるからだ
だけど、
『ローグワン』に出てくる
メインキャストたちは
それから
『鬼滅の刃』『NARUTO』に
出てくる主要人物たちも
死を恐れてはいない
無駄に死ぬわけじゃないけれど、
生きることは
もちろん大切なこと
けれど…
でもじぶんの生命を使ってでも
為すべきことのために、
生命を使い切る
じぶんの生を
なんのために使うか
人を助けるため
じぶん以外の
大切な誰かのために
多くのひとを
守るために
怖いのは、
まだ我が身が可愛いのだと思う
わたしは恐怖心が
ものすごく強いから、
怖いと感じるひとを
否定したりはしない
これはわたしのこと
NARUTOを読んでいて
思ったのだ
じぶんの生命が
脅かされることが怖い
と
なんとか生き延びたとして、
その生命は
なんのために使われたことに
なるんだろう?
生き残る、
生き延びるために、生きる??
それは生きた、
と言えるんだろうか??
この生命をなんのために使うと
決めて生まれてきたのだろう
たとえどこかで
死んでしまったとしても
このためにと決めたことに
生命を使い切ったのならば、
それが本当に生きた、
といえるんじゃないだろうか
と…
熱いかなぁ
熱いよね笑
でもそれでいいじゃない??
わたしは昔から、
なんのために生きているんだろう
そんなことを
考えてる子供だった
やっぱり、
わたしなりに、これ、
と思うことをやって、
死にたいよね笑
それがはたから見たら、
なんでもないことでも
わたしが納得できたら、
やりきったと思えたら、
それでいい
うん
トラウマから
怯えて生きてきて、
防衛やらなんやらで
じぶんがどうしたいかなんて
わからないまま生きてきて
それがとても
苦しくて
それがクリアになりつつある
もちろん傷はゼロにはならない
これからも癒しや解放は
続くだろう
でもじぶんが得てきて、
乗り越えてきて、
本当に助かったことを
伝えていこうと思うのだ
その入り口が、
“じぶんと繋がる”こと
それがグラウンディング
グラウンディングは
傷の解放も助けてくれる
その結果、
じぶんとの繋がりが
深まっていく
そのグランディングの
すごさやよさは、
やってみないと
そして
続けてみないと
わからない
一回その名を聞いただけでは、
地球にコード下ろすやつ?
って感じだと思うし、
わたしだって
ヒーリングスクールで
セルフケアの宿題に出て、
ヒーリングのベースと聞いて、
ただやり始めただけだから、
最初なんて
そんなもんだ
入り口はなんでもいい笑
だけど、
ヒーリングも
人前で歌うことも
文章を書くことも
やっぱり
グラウンディングが
支えてくれた
グラウディングのこと、
伝わるまで
どんどん
書いていこうと思う
一緒に、
やってみない?
と
今、考えていて
わくわくしているのは、
グラウンディングと
内なる対話をするレッスン
について
三ヶ月、
週一回のレッスンにして、
グランディングの体感をつかんだり、
習慣化のサポートになるような
マンツーマンレッスン
習慣化するのって
ひとりでは大変なの
知ってる
誰かと一緒に
時間を決めて
その期間にお金を払って
それが一番、
習得できる
そして大事なのは…
じぶんと繋がっていくこと、
深めて続けていくことの
体感を育てているひとと、
週一回、三ヶ月という期間、
場を一緒にする、
ということだ
そみさんはヒーリングスクールの場は
“伝授”でもある、
と言っていた
他の学びの場では、
伝授を“感覚を移す”ものと
言っていた
一緒に過ごすことで、
感覚が移る
わたしはこれが
一定の期間、
密に(オンラインだけどね笑)
関わることのよさだと思っています
そういう場を
設けようとしています…!
まだ初めてなので、
かなり人数を絞らせて
いただくと思います
ただ今、絶賛準備中なので、
お待ちくださいね!
週一回、
一緒にレッスンをしたら、
三ヶ月後、
どうなっているでしょうか^^
サポート、伴走するわたしも、
すごくワクワクします
その先の景色を
共に見に行けることを楽しみに…!
アヤでした^^