モヤモヤの中を進んできたから、今がある【私にある「明るさ」のもと】

中村あやです。

昨日あたりからなんだかモヤモヤしていて、不安定な感じで過ごしてます。

こういうときって、やっぱりイヤなんですよ。

快適では、ない。けれど大事な状態だということも理解しています。

 

まる生き手帳術で一番最初に意識したい大事なポイントが、“モヤモヤや不安定なときを偽らず、そのまま書き留める”ってことなんですね。

どんな自分の状態も否定せず、眺めて、受け止めてあげる。

客観視、俯瞰の練習にもなります^^

これが手帳を書いて眺めることで、それができるのですが、そうすると、ネガティブな自分の状態に振り回されることがなくなっていくんですよね。

書いて、眺める。

これだけで。

 

手帳の上に、紙の上に書いた、ネガティブな自分と、それを見ている自分と。

ネガティブな状態の自分から、ちょっと離れられる。

だから振り回されなくなる。

そんな自分の状態を知った上で、さぁなにが起きてるかな、これからどうなるかな、さぁこれからどうしていこうかな、と考えられるわけです。

 

こういうモヤモヤする、不安定に感じるときって、イヤだけど大事にしているわけは、変化のプロセスだから、なんです。

変化するときって、必ずモヤモヤする。

変わる前は不安定になる。

なんどもこの状態になることで、モヤモヤが盛大であればあるほど、自分の中の不快感が大きければ大きいほど、そのあとの変化が大きいって、体験してわかっている。

だからこの状態は気持ち悪いけど、変化のために進むんです^^

 

 

私が、ずーーーっと自分の中で追い求めてきていたんだな、と思うものがあって。

それに気づいたきっかけは、クライアントさんでもあり、お友達でもある、大切な人から、質問されたこと。

「あやさんの明るさは、どこから来ているんですか?」って。

 

そういえば、言われるんですよね。

いつも明るい、と。

 

どんなことが起きても、本人にはしんどさがあったとしても、どこか明るさに繋がっている感じを持っているように、周りからは見えるらしい。

いろんなことが起きても、どんなに転んでも、明るい道から外れる感じがしない、そういう明るさを、光を、内に持っているように見える、と。

そしてその「明るさ」に周りの人は救われたり、癒されたりしていると思う、と伝えてくれて。

例えばその大切な友人も実際そう感じてくれていて、私の旦那さんもそうじゃないかな、と。

旦那さんにそれを聞いてみると、そうだという。

 

その私の明るさは、どこから来たのか??

どうして明るさにつながっていられるのか??

 

上手く言えないけど、私は「たましいの導き」であった、と思う。

この言葉は、人によって想像するものが、多分全然違っていて、上手く伝えらえるとは思わないんだけど。

でもあえて言葉にしてみる。

 

どんなことが起きても、自分の内側にある「明るさ」、これは「光」と言い換えてもいいと思うのだけど、それがほんの一筋あって、それをたどるようにして生きてきたら、今ここにいる、そう感じているんです。

その一筋っていうのは、決して明るいものとか、まぶしいものとか、はっきりしているものではなくって。

 

今だってよくモヤモヤするし、抱えているものだってある。悩みもゼロにはならないよね。

ただ昔はもっとひどかったし、その頃の自分に「たましいの導き」があるなんて言ったら、なんてことを言うんだ、と心外だったと思う。

心理的には見えない壁だらけで、生きづらいときも長かった。

 

例えば、33歳の時に腰を壊して重い椎間板ヘルニアになり、前にも斜めにも身体が曲がっていて、レントゲンを撮ってもはっきりと背骨は湾曲していた。

それを見た整形の先生からは「これは治らないかもしれません」と言われたけれど、その瞬間私は“治る”と思った。

けれどそのあと、絶対私は大丈夫という強い気持ちなんか全然生まれなくって、むしろこんな身体を抱えて一体私はどうなるんだろう、と不安でたまらなかった。先が見えなかった。

 

だけど、“治る”と瞬間的に感じたのは、私の「光」の部分からやってきた感覚であったと思うし、それは確信に近くって、一瞬降りてきたけれど、そのあと半年くらいはずーっと、真っ暗闇と感じる時間を過ごしてた。

自分の中には見えなくても、感じられなくても、その一筋の「光」はずっと自分の中にあって、それが私をここまで連れてきてくれたんだと思う。

 

言うならば、その一筋の「光」をどこかで信じたからこそ、信じるに値するということがどこかでわかっていて、それを忘れるくらい不安に飲まれていても、腰を壊し健康も仕事もお金もパートナーもない状態からでも、とにかく前に進んできたのかもしれない。

意識的に、一筋の光を信じているから、信じようとして、ということではない。

最初の一瞬だけで、意識上では、感じられるものではなかった。

 

不安でもなんでも、とにかく進んできた。

不器用にでもネガティブなことと向き合ってきたことで、結果、自分の内側にある「光」との繋がりをどんどん思い出している。

それを言い切るには、まだ傷もあるのだけど…

 

私はどこかで、なぜか知らないけれど、体感的に、直感的に、知っている。

深いところ、「光」と繋がっていることを。

私はそれを、周りの人よりも感じ取っていることも、知っている。

特別ということではなく、私の持つ特質として。

だからこそ傷ついてきたことも多くて、そう言い切るのも本当はまだ怖い。

 

だけどどうやって「光」の部分を思い出してきたのかというと、ネガティブなことと向き合ってきたから、だ。

陰陽で言ったら、光も闇もセットだから。

 

だけどたった一人でネガティブなことと向き合えたのか?というと、そうではない。

人に、助けてもらった。

受け止めてくれる場を、作ってくれた人が、いたから。

そういう人との出会い、ご縁も、「たましいの導き」の一つだったと思ってる。

 

そして、「光」と繋がっているということを知っているから、人の中にもそれが見える。

まだまだブレるけれど。

私が私の中の「光」を確信していればいるほど、人の中にも「光」が見える。

誰の中にもあって、それは美しい。

 

そしてみんなそことの繋がりを求めているし、そしてそれは思い出せる繋がりでもあることを、私は知っている。

 

どんな人の中にも、その「光」があること。

その「光」との繋がりを思い出していくこと。

そのサポートをしたいと思っている。

 

どんなに大変でも、「光」はあるよ。

 

 

私の中に絶対的にどこかで感じている「光」があるから、パートナーシップでもいろんなことが起きつつも、一緒にいる選択ができているのかもしれません。

光と対になっているのが闇。

実際どんなことが起きるのっていうのを、ぶっちゃけるトークライブ(笑)、二回目開催します。

詳しくは下記をご覧ください^^

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