記憶にないもの、自覚のないものに苦しめられる、ということがある【人生が変わったきっかけ:1】
この地球上を 懸命に生き抜いてきた
愛する たましいの仲間たちへ
中村あやです。
私の人生が、大きく転換するきっかけになったことについて、順番に書いていこうと思います。
一つ目は、“記憶にないもの、自覚のないものに苦しめられる”ということがあるんだ、と知ったこと。
二つ目は、“痛みや傷は、そこに強い願いがあるから”ということ。
つまり、“痛みや傷は、愛そのもの”、ということ。
この二つの気づきは、今もなお、私の人生を、より豊かに、より幸せに、よりたましいの喜ぶ方向へと導いてくれる、とても大事な羅針盤になっています。
そしてこれは、クライアントさんにもお伝えしていくことで、私だけでなく、クライアントさんたちも同じように人生が好転しているので、それについて書いていこうと思います。
まず一つ目の、“記憶にないもの、自覚のないものに苦しめられる”ことがある、と気づいたことについて。
私の人生が、大きく転換し始めた時期があって、それは2012年のこと。
2009年の33歳のときには、椎間板ヘルニアをこじらせ、前にも斜めにも身体が曲がり、真っ直ぐ伸ばすことができないほどだった。
自活もできなくなり、一人暮らしのお家から、実家へと戻ったのもそのとき。
身体を壊しただけではなく、お金の問題も抱えていた上に、そうなった経緯を家族に責められる形になり、心の安らぐ場所もなかった。(辛かったけれど、家族を悪く思うことは今はもうない)
それがどん底。
半年はそのどん底に沈んでいて、そもそもエネルギーも枯渇していたし、痛みでまともに眠れもしなかったから、生きてるんだか死んでるんだかわからないような日々だった。
毎日顔を合わせるのは、母か、母が連れて行ってくれる接骨院の先生、とそこに通う患者さんと時々。
自分ではどこに出かけることもできなかったし、まともに歩けるわけでもなかったから、家と、接骨院と、その往復の車の中だけが、私の世界だった。
なんとかエネルギーが溜まってきた半年後くらいに、ウォーキングを始めて、身体がだんだん真っ直ぐになってきて、その1、2ヶ月後には、短い時間でできる立ち仕事のアルバイトを始めた。
どうにか、身体を治し、そして一年半ほどして、カーブスというフィットネスクラブのインストラクターとして働けるようになり、じきに、仕事や経済面も、“並”の状態まで戻ることになった。
ここまで、とにかく後ろを振り返る余裕はなく、元の生活を取り戻すことだけ考えて進んだ。
腰を壊し、実家に引きこもったあとから三年が立ち、とにかくここまで自力で、体も心も回復してきたけれど、どうにも拭えない壁をぼんやり感じていたのが2012年。
そもそも、どうしてこんなことが自分の身に起きたのか、こんな現実と向き合うことになった原因は、よくわからないままだった。
その元を解消しなければ、繰り返す。
それはセルフメンテナンスで腰を治すプロセスで、まず自分自身で思ったこと。
元から断つこと、を意識して、身体のメンテナンスに取り組んだことで、再発の不安はまったくない状態になった。
あれから9年たった今も、ちょっとくらい痛いことはあっても、椎間板ヘルニアだったり、日常が送れなくなるほどの妨げになるようなことは、一度もない。
三年かかって、そうして身体を治し、職につき、見た目にも、社会的?にも、とりあえず、普通?と言える状態になった、けれど。
漠然とした、生きづらさをずっと抱えていたこともあったし、なにか自分の中に解消しないと進めないと感じる、見えない壁をまだ感じていたのも、2012年だった。
そもそも2009年に起きたことを私はとても恥じていて、家族との間になにが起きたか、そもそもどうしてそうなったかについて人にはほとんど話せないでいた。
長くなってきたので、その2へ続きます。
⇒ 記憶にないもの、自覚のないものに苦しめられる、ということがある【人生が変わったきっかけ:2】