飢えた心の行方が示すもの〜心の闇は誰でも持っている【映画『ハングリー・ハーツ』を観て】
中村あやです。
昨日見た映画がかなり良かったので、書き記しておこうかな。
こういう心の闇を描いている作品は、映画でも本でも、けっこう気になって手に取ってしまう。
運命の出会い、結婚、出産。
幸せなはずなのに、壊れてゆく心
それは愛か、狂気か。
2014年の作品で、「第71回ヴェネツィア国際映画祭」で主演男優賞&主演女優賞、W受賞した作品。
映画公開は2016年10月。
この作品のいいところは、余韻があること。
余韻というのは、考えさせられる、ということ。
そして、簡単に答えの出ない問いかけ、投げかけであること。
愛と狂気の境目について描いている映画だけど、その境目なんてあってないようなもの。裏表だから。
本格的なネタバレはなしで書きますが、細かいネタバレはあり。
ミニシアター系映画(なのかな??)って、制作費がかけられない(かけない)こともあってか、登場人物も少なく、派手なシーンもないけれど、その代わり出てくる人の濃厚な心情を表す描写がすごく多い。
カメラワークもちょっと変わっていて、二人の心がどんどん狭くなっていく様子、その表情が捉えられていく。
最初は、ニューヨークの中華料理屋のトイレに二人で閉じ込められるシーンから。
すごく楽しそうなスタートなのだけど、唯一明るいのがこのシーン。
だけど、このトイレという閉鎖的な空間ということが、この先の二人の心の行方を表しているように思う。
愛か、狂気か。
妊娠、出産を機に、どんどん神経質になり、考えが狭く頑なになっていく、妻ミナ。
子育ても偏ったものになり、結果子供は栄養失調になっていく。
しかし西洋医学、病院は完全に拒否。
このままでは子供が死んでしまう、守るためにと、夫ジュードはミナとぶつかり、その対立は深まっていくばかり。
その衝突はどんどんエスカレートしていき、結末はどこに繋がるのか?
地味な映像(登場人物も少なく、派手なシーンもない)だけど、目が離せない展開。
愛か、狂気か。
タイトルは、ハングリー・ハーツ、で複数形。
妻側の狂気に目を向いてしまいがちだけど、実は夫側の男性からも、少しずつ狂気が匂い立つ。
お互いに理解し合えないこと、し合わないことから、衝突は深まっていくが、どちらかが歩み寄れたり、理解することができれば、どこかで対立は解消されていく。
妻側の狂気を支えたのは、夫側にもあった狂気なのではないか。
二人の世界がどんどん、閉じていく。
このままの展開で進むかという中、夫婦二人だけの狭い空間に、もう一人が。
だけど、空間は閉じたまま。
最後、最悪のシーンを迎える。
愛か、狂気か。
本当に、飢えている心を持っていたのは誰か?
そして、それとどう付き合っていけばよかったのか?
それぞれの“飢えた心”による行方は、最悪の結果になったけれど、誰が悪いわけでもない。
そう、みんながみんな、自分なりに“よくなるように”と考えて行動した、結果なのだから。
いい悪いとは言えるものではない。
誰でもこの“飢えた心”は持つものなら、自分がどう生きるかだけ。
心の闇は否定するものではない。
そもそもなくなるものではないから。
それを抱えてどう生きていくのか?
ということだけじゃないだろうか。
結末は暗いし、救いのない映画であるようで、この映画を見て、よくなかったと感じる人は、そんなにいないはず。
それは、心の闇を抱えてどう生きていくのか?
また自分一人のことだけではなく、心の闇を抱えたもの同士、どう生きていくのか?
という、深い問い掛けを残してくれるからじゃないだろうか。