好きじゃなかった「シン・ゴジラ」をゴジラ好きな旦那さまと観て

中村あやです。

去年の年末「シン・ゴジラ」を映画館で観てきましたー。

 

好きじゃなかったんだけど、結果観に行ってよかった、ってお話です。
なぜよかったのかを、流れとともに書いていきます。

 

 

もともとゴジラは観たことなかったので、「シン・ゴジラ」が好きじゃないというわけではなく、ゴジラ映画に代表されるような“破壊系”が好きじゃない、ってことなんですが。

破壊系が好きじゃないってだけじゃなく、善対悪、みたいなわかりやすい対立、悪を倒してばんざーい!みたいなのも好きじゃないんですね〜、その世界観が。

あ、もちろんめっちゃ私の価値観、好みのお話。

ただもちろん、それだけを描いているんじゃないんだなぁということはわかりました。

 

そんなこともあって旦那さまがめっちゃゴジラ好きでも、一緒に映画は観に行かなかったんですよー。

旦那さまはわりと公開すぐに、やっぱりゴジラ好きのお父さんと一緒に観に行ってました^^

 

好きじゃないんだけど、観に行ったのは、旦那さまが「私と観に行きたかった」というので、安くなっているレイト・ショーで一緒に観に行ってみました。

それだけじゃなく、今はいろんな表現に触れたい、と思っていること。
思ったより映画好きなんだな〜と気づいたこと。

それから、自分の好きだけにこだわらず、広く触れてみよう、と思ったから。

 

ただ、映画を見て直後は、やっぱりイヤ!こういうのキライ!でした。笑

自分の住んでいる、大切な街が、これでもかって破壊されていくシーンを観るのは、本当に心が痛みまして。

昔、世界が終わる系の夢を繰り返しよく見ていたのですが、なんだかリフレインするというか。
もう見なくなっているので、というか、最後に見たときは、身一つで助かった、もう大丈夫、となってから見なくなったのですが。

だからそこは完了していると思うのですが、でもまた夢に出そうだ、と思ったくらいで^^;

 

もちろん、今までのゴジラの歴史を知らないこと、つまり知識がないことで、楽しめていないのだということもわかってはいました。

 

終わったあとは、やっぱりイヤー!キライー!だったのですが、印象が変わってきたのは、Facebookに流れてきた「シン・ゴジラ」感想のまとめサイトを読んでいて、なんです。

あ、これ、おもしろいものなんだな、ってわかったというか。

いや、すんごいマニアックで、だいぶわからないことがいっぱいだったのですが。笑
こういう楽しみ方ををてる人がいるんだ、こういう観方があるんだ、ってワクワクしている人の文章に触れたことで、おもしろい波動が伝わってきたんですよねぇ。笑

そもそも、楽しむための知識を、まず全然持ってないことに気づきました。
そりゃおもしろさがわからず、自分のキライだけにフォーカスしちゃうよなって。

結局ね、私の好き・キライって、ものすごく偏ってるんだなーって思ったんですよ。

 

 

好きな映画を観たあともですが(観る前は余計なフィルターを掛けたくないので、まず情報入れません)、いろんな人の感想をバババーーッと見たくなって、見ます。

それは、自分以外の人のフィルター、どんな観方をしているのか?に興味があるから。

自分にはない視点から見られると、違った発見があって、より映画を楽しめる、深みが増すというか。

それに、自分が言語化できなかったけれど感じていた表現に触れたりすると、そうそうー!ってなってシックリきたり^^

だから他の人の感想読むの、大好きなんです。

 

「シン・ゴジラ」は初見、好きじゃなかったけど、いろんな人の感想読んでいるうちに、自分のキライがとっても偏っていることに気づいたし、もっと楽しめるものだって気づいたら、また観てみたい!って変わったんですよね。

おもしろさがちょっとわかったっていう。

 

つまりね、自分の好き・キライって、ものすごく我によるものであるってこと。

そもそも、好き・キライを決めているのも、今まで知ったことの知識・情報・体験によるんですよね。

 

だから、今の自分の好き・キライにだけこだわっていると、世界が狭くなるんだなぁって。

 

でね、「シン・ゴジラ」には楽しめる観点がいっぱいあったことに気づいたのですが、それだけじゃなく(それでも破壊には心が痛みますが)、善対悪っていう単純な図式ではないんだな、ってことも、私には響くものがありました。

破壊に心を痛めて(ある意味反応ですが^^;)、観えなくなっていましたが、ゴジラの誕生の理由、ゴジラの行動の理由、これらは直接映画で語られてはいませんが、背景から読み取れるものがあり、善対悪っていう単純な図式を越えて、表現しようとするものがあったんですよね。

もともと、過去のある作品においては、ゴジラという存在は、人間が自分の手で生み出した、でも自分の手でコントロールしきれない原水爆を擬人化?擬ゴジラ化?したものと言われています。

今回の作品の場合のゴジラは、震災・原発事故のメタファーとしているという話も。

 

つまりね、多くの人が疑問に思っていたり、どうしたらいいんだろう、と思っていることを映像化した作品でもあるってことなんですよね。

それはね、多くの人の心に響きますよね。

 

[amazonjs asin=”B01N1S371M” locale=”JP” title=”シン・ゴジラ Blu-ray特別版3枚組”]

[amazonjs asin=”B01NCLCRTZ” locale=”JP” title=”シン・ゴジラ Blu-ray2枚組”]

うちは旦那さまが予約済み

 

ある意味、私が“破壊系”イヤ〜と拒否したのは、それらのメタファーとして表現されているものが受け入れられていない、ということなのかもしれません。

実は感想の中に、ある人のブログの一記事に行き着いたんですよね。

その方は、実際に震災を経験していらっしゃって。

ゴジラが街を破壊していくシーンで、ボロボロ泣いたというんです。
で、よくわからないけれども、何度も、10回近く?見たと。

そのうちどうしてそれがそんなに心に響くのかわかった、と言うのです。

それは、映画の中で起きていることは「虚構」で、今自分は助かって生きているという「現実」にいると。
それが実感でき、あれが「虚構」であると目にすればするほど、今助かって生きている実感がわき、あの時のことが癒されていくようだ、と表現されていたように思います(うろ覚えな部分もあり)。

 

映画を観るって、すごく個人的な体験だと思うんです。

誰かにとっては、心を傷めるものであっても、誰かにとっては、大きな癒しとなりうる。

その方もね、震災を体験された方が、自分と同じように体験するとは思わない、フラッシュバックなどがあったり、苦しい人もいるかもしれないからすべての人にはオススメできない、とは書いてありました。

 

自分の好き・キライだけにこだわっていたら、こういうのって気づけないんですよね。

自分にとってはキライだったり、必要じゃない(と感じる)ものであっても、どこかでは誰かが救われていたりする、と考えると、キライを拒否して生きるのも、違うなぁと。

どんな世界にも、いろんなものがあっていい。

多様性を受け入れられることで、世界は広がる。

 

ときには、キライに触れてみることも、大事かもしれないっていうお話でした。

 

閑話休題?なブログでした。

ただ、このブログのタイトルの【アンパラレルド・ビュー】って、唯一無二の景色から絶景って意味なんですけど、「まだ見ぬ素晴らしい景色に出逢いに行こう」っていう意味が込められています。

そういう意味では、私の考え方、生き方に通じるお話でもありました^^

 

ではまた^^

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください