つらかった、しんどかった過去の私へ、届け!
中村あやです。
今日facebookにも書いたんですけど、私の夢、心からやりたいことのイメージが、最近どんどん鮮明になってきて♡
もちろん、それってどうやったら達成できるのかわからないもの(コーチング的にはわかっていたら現状の外側のゴールじゃないので、わからないくらいのものがいいのです^^)。
そしてそれは、頭で考えて出てきたものじゃなく、先にビジョンが浮かんでくるような、そんな夢、ゴールです。
イメージを思い浮かべていると、それをやりたかった理由は、あとから思い出す。
そのビジョンがパッと浮かんだ瞬間って、なんかとってもワクワクします。
そうだ、こうしたかった!みたいな^^
そんな風に、夢、本当のやりたいことやゴールって、頭で考えるものじゃないんですよね。
頭で考えている時って、どうしてそうしたいかっていう理屈から作り出している気がします。
でも、自分の本当に深い部分からくる願い、やりたいことって、自然に、先に、そうなっている姿が浮かぶ感じなんだと思います。
そうしたかった理由は、あとから思い出すくらいの。
昨日、facebookでこんなことを書いたんですよ。
ちょっとね、強めのメッセージ。
書きたくなって書いた。
そうしたらやっぱりそのエネルギー、届いたんだよね。
コメントたくさんいただいて^^
しかも勇気もらったとか、私も諦めない!っていうコメントだったから、とっても嬉しかった。
私は、誰かの背中を押したり、誰かの目が覚めるような、そんな言葉を紡ぎたい。そんな言葉を届けていきたい。
その誰かは、過去の私。
くじけそうになりながらも、たった一人、自分は自分の応援をし続けた。
今から8年前の2009年、腰が悪くなって、前にも斜めにも体が曲がって、一人で暮らせなくなって実家に帰った。
33歳、一人で、結婚もしてなくって、仕事もお金も健康も失って、なんにもなかった。
しかもそうなった理由はいろいろあって、母親(父は亡くなってます)や、たった一人の姉妹である妹から、“新興宗教に洗脳された”と思われたんだよね。
実際はスピリチュアルな系統の塾というかクラスに参加していたのです。
明らかに体が悪くなったのも、お金がなくなったのも、その影響だった。
だけど私はそこを心の頼りにしていたから、離れたくなかった。離れられなかったと言ったらいいのかな?
そこに執着している私のことを、母も妹も全否定。
それは私を守るためだと、もちろん今は深く理解しています^^
ただ、そんな風になってしまったため、私のことを心から受け入れてくれるという空気では当然なかった。
どうしてこんな風になったんだと、責められることの方が多かったんです。
身近な家族に迷惑をかけ、その家族からも暖かく迎えてもらうこともなく、責められて暮らした。
だから半年、ほぼ引きこもりで、その期間はよくなる様子もあまりなくて(エネルギーないんだから当然なんだけど)、針のむしろで本当に辛かった。
妹は結婚して離れていたので、母と二人。
スピリチュアルな学校と縁を切れと迫られ、そうしてからは母はそのことはもう言わなかったし、接骨院に週六回、車で連れて行ってくれて、日常のことが何もできなかったので、洗濯から食事から、全部やってくれたんですよね。
だからずっと責められていたわけではなかったんだけど。
そんな経緯があって、新興宗教にはまったと思われ、責められて縁を切って、体も壊して精神も壊れかけてた私は、だからか心から休ませてもらおう、なんて思えなかった。
心から休めなかった、という方が正しいのかな。
責められていたと感じていたのは、自分が自分を責めていたからだ。
心から安心して、家族に迎え入れられたわけじゃなかったのだけど、だからこそ私は、私自身と向き合うしかなかったし、誰かが受け入れてくれないなら、自分で自分を受け入れていくしか残された道はなかった。
そしてそれが必要なタイミングだったから、それが起きた。今はそう捉えている。
そういう、自分と向き合う孤独さや、自分で自分を責めて追い込んでしまう苦しさって、私は本当によく味わった。
心の中で起きることが、どれだけ自分を苦しめたり(逆に幸せや豊かにもしてくれるのだけれど)するのかってことを、とことん味わってきた。
だからね、現実で起きていることがどういうことであれ、その人の心の苦しみを感じ取って、寄り添ってあげたいのです。
私のように、腰を壊し、家族と確執を抱え、半年寝たきりという状態とは違うかもしれない。
でも心で感じている苦しみ、生きづらさは、変わらない。そう思うから。
もちろん、母と妹と、きちんと和解しています^^
乗り越えたのはコーチングのおかげです。
そんな過去の私を、今の未来の私が、応援してあげたいのだ。
そして、過去の私と同じような思いを抱えている人に。
大丈夫だよ、今感じている世界の外側に、もっと世界は開けているよ、だから踏み出そうって、そう伝えたい。
一人で抱えなくて大丈夫。
あなたの世界を変えるきっかけを与えてくれる人は、いる。