コーヒーとハンドドリップと茶道【珈琲よもやま話】そこに漂う日本の文化の香り

今日も珈琲を淹れる。

その珈琲を飲みながら、ブログを書く。

中村あやです^^

 

珈琲を淹れることの何が楽しいかって、ちょっとした条件で(お湯の温度、粉の量、淹れるスピード…などなど)、味が全然変わってくること!

珈琲の味は、“生豆、焙煎、挽き方、淹れ方”の四つで決まってくる。

「さぁ珈琲を淹れよう」という段階では、すでに生豆、焙煎、挽き方の部分は終わっている状態なのだけど …

その淹れ方でも味が全然変わってくるのだ!

 

つまり研究のしがいがある、ってこと。

だからおもしろい。

自分の中に、こんな味がよい、という理想のイメージがあって、どうやってそこに近づけていくか??

うん、楽しい。笑

 

 

私がお家で入れているのは、基本的にはペーパーを使ったハンドドリップ。

これは日本で主流になった珈琲の淹れ方。

 

うちの実家には、サイフォンがあって、両親は珈琲が好きだったなと覚えている。

聞いてみると、30年前などは、珈琲を淹れるならサイフォンしかなかったらしい。

つまり、ペーパードリップ(ハンドドリップ)で淹れるようになったという文化は、25年前くらい?から生まれてきたよう。

老舗の珈琲屋バッハさん「カフェ・バッハ」が一役買ったようなことが、代表である田口護さんが書かれた本に書いてあった。

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この、ペーパードリップで淹れる方法は、海外ではない。

アメリカでも、ヨーロッパでも、基本はマシンで。

一杯に、そんな時間を掛けるなんて、と、驚くらしい。

確かにペーパードリップは、マシンと違って人がすべて行うものだから、時間が掛かる。

 

そこに手間を掛けるというのが、ものすごく日本的だ、と感じた。

なんとなくだけれど、茶道の文化と、珈琲が合わさったものが、ペーパードリップという淹れ方を生み出したのじゃないかと。

 

一杯を丁寧に淹れる。

そしてその味も、まろやかさ、甘み、旨味、といった、お茶に求めるものと同じもの。

 

最初に、淹れ方でも味はものすごく変わる、と書いたけれど、茶道と同じように、“調和のとれた一杯”を、目指そうとしているのだと思う。

なぜそう感じるのかって、私が美味しいと感じる珈琲屋さんのマスターは、その一杯を作り出すために、考えていること、大切にしていること、そしてそれに基づいた行うことに一貫性があって、そしてそのための手間を決して惜しまない。

むしろその手間を掛ける時間すら、愛でているように感じるのだ。

それはまさに茶道、だよね。

 

美味しい珈琲だけをただ、淹れたいんじゃない。

美味しい珈琲だけを、ただ、飲みたいんじゃない。

珈琲を通して伝わってくる哲学があって、それを一緒に頂いている。

私も触発されて、珈琲に携わるようになった。

 

ちなみに今日の一杯は…

焙煎してから一ヶ月ちょっとたったお豆を、挽いて淹れたところ…

粉が全然膨らまなかった!

味は、提供するなら不合格ライン!笑

これは焙煎してからの鮮度の、期限切れ、といったところ、かな。

 

ミルクとお砂糖をいれ、まろやかにして、美味しく頂く。

コクがあるので、コーヒーの味がちゃんと負けないで出ている。

不合格ラインは、渋み、えぐみが強く出てしまったとき。

そんなときはミルクの力を借りるとよい^^

 

お豆の種類や保管方法によっても、鮮度は変わってくるけれど、でも、一つ一つ、あぁ、これだとダメなんだな、自分で体験して発見することすら、楽しい。

調和のとれた一杯への道は、これからも続きます^^

 

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