ネガティブな気持ちを上手に扱えると、人生の質が向上する♡
中村あやです。
私っていつも明るく、元気に見えるみたいです。笑
「なんかいつも楽しそう」ってよく言われる!
目次
いつも明るく元気に見える私
だけど、感じやすさ(HSP、エンパス)を持っている私は、気持ちの波ってけっこうあるんです。
それでも明るく見えているとしたら、暗い気持ち、ネガティブな感情を否定していないから、だと思う。
だけど、私が最初からそうだったかというと、全然そうではなくって。
今でも、感じやすさを持っていると自覚しているからこそ、丁寧に寄り添おう、と努めているだけのことだったりする。
つまり、明るい=ネガティブな感情にならないのじゃなくって、ネガティブな気持ちになった時に自分自身にどう寄り添っているのか?っていうこと。
結果、明るい気持ちでいられる時間が増えるのかな^^
はっきり覚えている、感情を抑えたきっかけ
昔の私は、ネガティブな感情を抱えていることにすら気づかないくらい重症!
そうなった理由はあって、明確に覚えていて、記憶にある時点なら、それは小学校五年生のとき。
(ただ自分の感情、感覚を抑圧しがちな傾向は、すでに小さい頃から親との関係において、構築されておりました。笑)
父の仕事の関係で転勤していた札幌から、もともとの家のある神奈川に戻ってきて転入したときに、いじめにあいました。
いじめられた理由は複雑ですが、あってないようなもの…
私に少しあった“北海道なまり”だったり、異質な存在が入ってきたことによる排除の働きなどなど…
札幌では、転入転出が多く、大阪なまりがある子などもいたし、自由な校風で、子供それぞれが持つ違いを、子供同士も受け入れあうような雰囲気でした。
自由にのびのび過ごしていたな〜〜!学校楽しかった!
でも神奈川で転入した学校は、閉鎖的(入学時から生徒がほぼ固定)だったため、なまっているだけでからかわれたりすることに、ものすごく戸惑いました。
違っていて当たり前、違いを受け止め合う社会から、違いは弾かれる、否定される社会へ移動したことは、私にとって少なくないショックでした。
そこで私がその社会になじむためにとった戦略が…“自分の感情を抑えること”だったのです。
自分が本音で話したこと、感じたまま話したことに対して、相手が変な顔をしたり、おかしな反応をしたら、私はその人には二度と自分の本音、感じたことは出すまい、と心に決めてフタすることに。
最初は本当に苦しかった…
その学校のクラス編成が変わるのは、二年ごとでした。
小学5年で転入した私は、さらにもう一年そのままのクラス。いじめはなんとなく二年続きました。
だけど私が思っていたことは、“このクラスがなくなればいじめはなくなる”、というもの。
中学校は、全部で三校から生徒が集まり、クラスも人も大きく変わったことで、結果いじめもなくなりました。
感情を抑えることはつらいことだったはずなのに、怖いのは慣れたら忘れちゃうこと。
今は脳の仕組みを学んでいるからわかるけど、自分にとって心地よくないことでも、慣れれば無意識化して自動的に行われるようになっちゃう。
そして私はそのうち、つらいことも、感情を抑えていることもすっかり忘れちゃいました。
私が感情を受け止め始めたのは…
中学に入り、いじめはなくなったのに、感情を抑える癖は残ったまま。それも気づかず。
転機は中学校三年生のとき。
同じクラスの女の子を私はとっても信用していて、本当になんでも話していました。
ところがその彼女から、「あやちゃんは私と話すときも、堅い殻の中からちょこんと顔だして喋っているだけ」と言われ、衝撃!
なんでも話しているつもりだったのに、相手からはそう見えて(感じて)ない?!
そこで思い出しました。
小学校5年生のときに、感情を抑え始めたことを。
さらに衝撃を受けたのが、あんなにつらいことだったのに、(人は)忘れちゃえるんだ…と知ったこと。
そしてその友達に、「私、(自分を)出しても大丈夫だと思う?」と聞いたのです。
友達は「うん」と。
ただ、中学校3年の途中…
クラスの途中で、いきなり同級生がキャラを変えたら、みんなびっくりするでしょう。
それに“いじめ”のきっかけにもなりうる、と感じた私は卒業を待ち、無事高校デビュー。笑
と言っても、別に髪を染めたりしたわけではありません。笑
スカートは短くしましたけど、自分をそのままオープンに出そう、と思ってそうするように^^
自分のネガティブな感情と、自分自身で向き合い始めた
ところがなんか引っ掛かりがある。
“そもそも自分がなにを感じているかよくわからない…”ということに気づく。
友達にも「あやちゃん今日元気だね!なんかいいことあったの?」と聞かれ、「? 特には(なにもないな〜)」と答えていた私。
家に帰って夜考えていたら、あ、そういえばあのこと嬉しいって思ったな!と思い出す始末。
どうして自分が感じていることを、自分のことなのにそのまま感じられないんだろう…
ギャップがあることが気持ち悪くなり、始めてみたのが日記。
3行から5行程度で書き、その日の気分を星5つでつけるスタイル。
どんな出来事があって、どう感じたか、それだけをメモしていく。
起きた出来事に対し、自分が感じたことをただ書く、そうやって言葉にし、自分で見る、ということから、自分の感情を取り戻そうとスタートしました。
最初は星の数も少なくって、気分が落ちていることの方が多いくらい。
ずっと続けていって、感情をその場でちゃんと感じられるな、ってなんとなく一致してきたのが、大学2年生のとき。
感情を抑えた五年と同じだけの時間がかかりました。
この時の日記がベースになっているのが、ここでおすすめしている、ほぼ日記的メモです^^
⇒自分をよく知らないんだ、ってことを知って、自分を知っていくこと
自分の気持ちと向き合うこと、私は振り返ると、二十年以上前からしていたことになるんですよね〜〜
年季入ってる!笑
私は自分の気持ちと向き合うことが、今は好きです。
だけど当時は好きっていう気分じゃなかった。
とにかく自分をどうにか変えていかなきゃって思っていたし、自分が混乱していると感じてもいたし、とにかく生きづらさを解消したくて、楽になりたくて、必死でした。
前に進んで、とにかく自分で考えて、思いついたことをやってみるしか、選択肢がなかったんだよね〜〜〜
今の私は、その頃からの私の頑張りによって成り立っているから、感謝だなぁ♡
私の明るさの裏にあること
もちろんそれだけで楽になったわけじゃなくって、33歳のとき、身体を壊して、仕事なし、お金なし、パートナーなし。家族と激しい確執を抱えた状態で、半年ほどほぼ寝たきり。
私の人生のどん底。
そこからどうにか身体を治し(もうまともに歩けないかと思った…結婚も無理かと思ってましたよ)、仕事に就き、どうにか普通の生活が営めるようになったあと、ある出会いからセッションを受けました。
そこで本当に、自分が押し込んできたネガティブな感情のフタを開け、癒し、解放されて自由になっていったのは、今から五年ほど前のこと。
そのあと出会い結婚した旦那さまと、自分が感じていることを伝えるコミュニケーションができるようになっていったのは、そんな私の過去の歴史あってのこと…
それらのしんどかったことを、私は今受け止められているからこそ、ネガティブな感情をちゃんと愛おしいと受け止められるようになってきたのだと思います^^
それに、なんでこんなにハードな経験をこさえちゃったかというと、自分の感覚、感情を無視して抑えて、我慢してきちゃったから。
特にね、ネガティブな感情は、自分の疲れた、いやだ、望んでない、を教えてくれるサインなんです。
それを抑えてしまったら、知らず知らず我慢して、自分の身体や心を壊すような現実を創り出しちゃうのです。
だから、ネガティブな感情は、大事なんですよ。
ネガティブな感情に居場所を与えてあげる
当たり前だけど、人間だから感情の波はあるし、それに感じやすさ(HSP)も持っているので、人よりよく動きます。笑
だけど、ネガティブな感情を否定していないこと。
それも自分の一部と受け止めるように努めていること。
ネガティブな感情って、やっぱりイヤはイヤですよね。
モヤモヤとか、落ち込むのとか、好きな人はやっぱりいないと思う。笑
だけどそれも私。
そうやって、私を丸ごと受け入れて、生きていく。
そう決めて、そうやって進んで行っています。
それが私の明るさなのかなぁ^^
ネガティブな感情に居場所を与えてあげることは、私が私に居場所を与えてあげること。
ネガティブな感情を受け入れることは、私を受け入れること。
否定すればするほど、感情がわからなくなるし、自分を見失います。
だから、ネガティブな感情の捉え方を、ぜひ変えてみて。
今まで抱えていたものを解放しないと前に進めない、って感じている人は、セッションを利用してくださいね^^
少しずつやってみようっていう人は、先ほどあげた日記的メモを書いてみて^^
また書きますね^^