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ネガティブな作品・感情に人が惹きつけられる理由とは【映画・小説『怒り』に触れて】

2016/11/04

中村あやです。

10月24日に映画「怒り」を観て、その帰りに小説、「怒り」の上下巻を買い、一週間もしないうちに読了。

読み終わって、映画を見てちょうど一週間の31日に、今度は旦那さまと一緒に鑑賞してきました。

 

二人で映画を見終わったあとはもちろん、白熱トーク!

お互いコーチでもあるので、人の心理について、いろんな方向から見たり、感じ取れるものを、たくさんシェアして盛り上がりました。

映画「怒り」公式サイト

 

このような感じで、私はすごい勢いで「怒り」の作品に触れています。

(8日間の間に、映画二回、小説上下巻読了)

小説読むのだってわりと久しぶりだったのですが、あっという間に読み終え。

小説を手に取ったのは、そもそも犯人はなぜ殺人を犯したのか?ということが、映画だけではよくわからなかったから。

結局小説を読んでも、そこはよくわからないままでしたが、おそらくテーマ、主軸がそこにないからかなぁと。

また、あえてぼかすことで、伝えたいことはこれかな?と想像するものもあります。
なので疑問だけ残り、不完全燃焼感があるということは、特になく。

 

若い夫婦が自宅で惨殺され、現場には「怒」という血文字が残されていた。犯人は山神一也、二十七歳と判明するが、その行方は杳として知れず捜査は難航していた。そして事件から一年後の夏―。房総の港町で働く槇洋平・愛子親子、大手企業に勤めるゲイの藤田優馬、沖縄の離島で母と暮らす小宮山泉の前に、身元不詳の三人の男が現れた。

小説『怒り(上)』 内容(「BOOK」データベースより)

このように、「怒り」は決して明るい話ではありませんが、私はそもそも、こういったネガティブな話、ネガティブな人の感情に、妙に引かれるところがあります。

引かれるというと、ちょっと違うのかもしれませんが、やりどころのない感情にフォーカスした話は、私をとても引きつけるんですね。
好きというのとは違って、ヒリヒリするけど、それでいてどうしても目が反らせないもの。

 

中高生ぐらいの時に、私がはまった本に「24人のビリー・ミリガン」というものがあります。

ビリーミリガンは実在の人物で、強盗強姦を犯した罪で捕まったのですが、なんと複数の人格がおり、多重人格障害(解離性同一性障害)だったという話。
そうなったにも理由があり、そもそもビリーミリガン本人は義父からの虐待を受けていた影響によるものでした。

虐待されたことによる痛み、それがどのように連鎖していくのかなど、その痛みから、なぜか目が離せなかった。

なぜ人はそのような苦しみを抱えるのだろうと、疑問に思ったのかもしれません。

「怒り」という作品に引かれるのは、おそらく同じようなものなのだと思います。

 

もちろん、この系統の話は、好みが大きく分かれるもの。

だけど、わざわざこうして、映画・小説として作品になっているのは、ネガティブな話・感情であっても、人を引きつける何かがあるからですよね。

このようにネガティブなものであっても、私を含め、人を惹きつけるのはなぜでしょうか。

 

小説の帯には、それぞれこのように書かれています。

“私が愛したのは、誰だ?” 上巻

“私を裏切ったのは、誰だ?” 下巻

「怒り」という感情とともに描かれているのは、自分が愛した人を信じられるか?という問い掛け。

もし、愛した人が殺人犯だったら?

裏切られるのではないか、裏切られた、という悲しみ。
信じたかったのに信じられなかった、という悲しみ。

 

心理学的にいうと「怒り」は二次感情であり、その根っこは「悲しみ」です。

「悲しみ」を上手に感じられず、受け止められずに抑圧すると「怒り」になるのです。

 

さらに作品に描かれているのは「諦め」。

どうせ幸せになれっこない。

自分の思いを訴えたって、どうせ伝わらない。

どうせ、という「諦め」は、人に何をもたらしていくのか。

 

諦めることによる悲しみ。

諦めは悲しみを生み、悲しみを上手に昇華できなければ、それが「怒り」に変わる。

 

ネタバレなしなので、細かいことは書きませんが、結末、私はとても切ない気持ちになりました。

最後、それぞれの人物の心の中にわき起こる、怒りと悲しみの感情。
だけどそこには、“希望”も。

 

その希望が救い。

怒りや、悲しみと、どう付き合っていったらいいのか。

諦めを乗り越えていくこと。

 

映画を二回とも、号泣。

怒りも、悲しみも。
信じられるか、裏切られるんじゃないか、という思いも。
言葉にならない複雑な感情も。

 

自分の中にないものは、共感しようがない。

私が泣くのは、怒りも悲しみも、言葉にならない複雑な感情も、私の中にもあるから。

 

それらを映画や小説という作品を通じて味わうことが、もたらしてくれることがある。

 

自分の中にある、ネガティブな感情って、そのままでは受け止めにくいもの。

けれど、映画や小説という作品を通すことで、ネガティブな怒りという感情だって、悲しみだって、もっと言えば、言葉にならない複雑な感情だって、人はみな抱えているものだ、というごくごく当たり前の事実を、受け止めさせてくれる。

人はみんな、弱いものなのだと。

 

大切なのは、どう弱さを抱え、生きていくのかということ。

 

怒りも悲しみも、言葉にならない複雑な感情も、ただあると認められること。

ネガティブな感情を、抑圧したり、ないものだと見ないふりをするのじゃなく、ただあると“感じる”ことが、究極の癒しなのではないかと、改めて思うのです。

だから、映画を見て泣くことで、スッキリするものがある。

 

そして、そこに立てて初めて、諦めではなく、弱さを受け止めつつ、前に進んでいける力が、人の内側から生まれてくる。

 

生きるって、どこまでも切なく、美しく、悲しく、愛しいもの。

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